六ヶ所村ラプソディ−








「六ケ所村ラプソディー」を見た。とちゅう、何度もヴィデオを止めてしまった。

なぜなら、国のエネルギー政策を無理矢理おしつけられてしまった小さな村の苦渋が露
呈していて、彼らの生活を想像すると見るのが苫しくなってしまったから。

ことさら策を弄するわけでもなく、たんたんと村の現実を描きながら、核エネルギー再
処理がはらむ日本の闇を想像させられてしまう。

巨大な歯車にあらがうことなく大人しく従う人たち。小さな小さな抵抗を試みる少数の
人たち。「ああ、またいつものやつだ」と、ぼくはため息をつく。

世界中に起きているストーリー。人類史に普遍的なストーリー。

ぼくの想像力は、六ケ所村の下に眠る縄文人たちの集落のことに及ぶ。

なぜ世界中で、エネルギー問題が先住民の土地に犠牲を強いるのか。

ここに何らかの問題が潜んでいるに違いないはずだ。

搾取と収奪と言うだけでは不十分で、これを読み解くには神話的な想像力が必要だろ
う。                            音楽家 坂本龍一氏



くらしの根っこ、そこに核がある

 使用済み核燃料再処理工場六ヶ所村には核燃料サイクル基地がある。       
 その中心は使用済み核燃料再処理工場だ。世界で最も新しいプルトニウム製造工場と
なる。ここが稼動すれば日本は新たな原子力時代に入ってゆく。今、エネルギーをいっ
たいどうするのか、私たちは岐路に立ち、選択を迫られている。

 私はイラクでがんや白血病になった子供たちと出会った。湾岸戦争で劣化ウラン弾が
使われてから、がんの発症率が上がり続けている。

 しかし、病気と劣化ウラン弾との関係は未だ医学的に因果関係が証明されていない。
子供たちが病気になり続け、死に続けている現場から前作、『ヒバクシャー世界の終わ
りに』は始まった。身体の中に放射性物質を取り込んだ現代のヒバクシャに出会う旅の
終着点は私たちの足元、六ヶ所村だった。劣化ウラン弾は原子力産業から出てくる廃棄
物から作られている。核の平和利用の副産物なのだ。

 全国から核廃棄物が集まってくる六ヶ所に生きるということは、くらしの根っこに核
があることを日々つきつけられながら生きることに他ならない。電気エネルギーを使う
日本人全ての難題に、地元の人々は向き合って生きている。その様々な生き方とくらし
を見つめた。日本の原子力政策は揺ぎなく、産業は巨大だ。今でも夢のエネルギーとし
て原子力は位置づけられている。そのような原子力とどのように向き合うのか、それは
一人一人がどう生きるのかを問われることに等しい。自分自身の選択を生きる人々の日
常。そこから私たちの未来が立ち上がってくる。        監督 鎌仲ひとみ氏
          

 映画に登場する哘さんは、八戸高専機械工学科を卒業後、トヨタ自動車に入社。

 希望した研究・開発部門に配属され約4年間勤務したが、県外で他産業に従事した事
によって、故郷と農業の魅力に改めて気付きUタ−ンを決意。

 26歳で有限会社みちのく農産を設立し村で最初の認定農業法人となる。

 受け入れた4名の研修生は独立を果たし皆トマトの栽培に取り組んでいる。

 農協青年部以外にも、青森県百人委員会・財政改革推進委員会、町村合併協議会の委
員としても活躍され、子供会やPTA、公開討論会の活動等、地域の課題から県や国の
課題と、幅広い地域づくり活動を行っている。

 特に原子力政策に関する活動は目を見張るものがあり、問題点を見逃さず徹底的に追
及する姿勢が逆に青森県から敬遠され、原子力政策懇話会や原子燃料サイクルモニタ−
では、不透明な選考方法や基準によって委員の選考から外された。風評被害の問題で
は、「核燃料サイクルは国民の理解を得ながら進める事になっている。青森県産品を買
わない消費者がいるとすれば、国民の理解を得ずに進めている国や事業者に責任があ
る。」と主張しており、実際に被害を受けた会員の代理人として、日本原燃株式会社に
損害賠償請求し、現在も交渉を続けている。   (http://www.saso.sakura.ne.jp