2005年

2005年9月24日
県民に語らぬ 県議でいいのか  
 暗黒の社会で人民を束ねる道具が武力だとしたら、民主主義の社会においてのそれは
「言葉」だと思う。だから政治家は言葉で自分を主張し、言葉で人々を説得する。だが
昨今の政治家を見ていると、つくづく「言葉を持っていないなあ」と嘆かわしくなる。
 ここで言いたいのは国政の事ではなく、身近な県政の事だ。例の六ヵ所再処理工場の
使用済み核燃料プールの水漏れ事件の事だ。「再度の補修が終わったから事業を再開し
たい」との日本原燃の申し入れを受け、県議会の全員協議会が開かれた。
 与野党問わず、「あってはならない事だ、説明に納得いかない、責任があいまいだ」
などと厳しい意見が相次いだのも当然だろう。だが県議会は保守系会派が圧倒的多数を
占め、これまでも「再処理政策推進」を公言している。結局は「容認」でホコが納まる
のではないかと私は予想する。
 問題なのは一連のやり取りがすべて知事と県議の間で済まされている点だ。そこには
「県民」が不在なのだ。原子力について知事が県民と対話した場面を見た事があるか。
市民とひざを交えて話す県議を知っているなら教えて欲しい。
 国策だから、党の方針だからという姿勢なら県議は要らない。ここ一番の大事なテー
マでは県民に情報を届け、県民の意見を吸い上げるのが県議の仕事だろう。語らぬ県議
を容認するは愚民、語らせてこそ真の賢民と言えるのではないか。


2005年7月1日
六ヶ所村民の心 法大教授が語る
 六ヶ所村で小学五・六年を過ごした。三十年以上も昔の事になるが、開発の「か」の
字も無く村は静かで寂しかった。その後、むつ小川原の巨大開発が始まりやがて頓挫
し、核燃料サイクルへと変転し今日に至っている。村民の心もまた、幾度と無く変遷を
重ねてきたのだろう。
 法政大学社会学部の舩橋教授は、そんな六ヵ所村を十六年にわたり冷静に見つづけて
きた。先生のアプローチは現場主義だ。研究室の学生達とともに頻繁に来県し、六ヵ所
村民はもとより識者や研究者・行政の職員・報道関係者と熱心に対話する。
 県やマスコミが行う「意識調査」は、ややもすると「うわべ」に終わりがちだ。原子
力施設に不安が有るかと問われ、八割以上の県民が「不安だ」と答える。だが「不安だ
から施設に反対」という意見もあるし「不安だが仕方ない」という意見もある。
 舩橋研究室のヒアリングは、微に入り細に入り住民の深層心理に迫る。今日の意識の
背景が、二十年前の経緯に由来すると分る事もあるそうだ。老女の心に入りこんで、初
めて胸の打ちを開いてくれる事もあるとか。
 そんな舩橋晴俊教授が三日午後、青森市文化会館で「六ヶ所村住民意識調査の示唆す
るもの」と題し講演報告会を行う。立場や意見が異なる県民同士が、認識を共有する機
会になるのではと、楽しみに出向く予定だ。

2005年6月11日
「英国とは違う」 原燃社長の熱弁
 イギリスにある核燃料再処理施設「ソープ」で配管が金属披露によって破断し放射
性溶液が漏出した。工場外部への影響は無いとは言え、内部では漏洩した高レベル放
射線廃液は25aの高さで溜まり、83立方bにのぼっているという。
 現場は高放射線区域のため作業員がセル内には立ち入れず、遠隔操作またはロボッ
トでしか作業が出来ないそうだ。そのため除去には数ヶ月以上の時間と数千億円の経
費が必要だというから大事件だ
 この英国の事故について先月三十日、日本原燃の兒島社長の熱弁が報じられた。
「ソープとはやり方が違う.金属疲労が起きないよう設計段階で十分配慮している.
一緒にしてくれるな」と自信たっぷりで、何とも頼もしい限りだった。
 ところがその日本原燃で、使用済み核燃料の貯蔵プールから水が漏れたと言うでは
ないか。ただの水ではない、微量とは言え放射性物質が含まれているのだ。二百九十
一ヵ所の不良溶接という、四年前のセンセーショナルな事件を県民は忘れてはいな
い。
  「またか」という声が聞える。県民が事業者を信じていない証拠だ。使用前検査合
格という国の「お墨付き」もでたらめだった。知事は事業者や国の報告を引用するば
かりだが、そんな甘さで県民を守れるのか。
  不良溶接あり、冷却設備の不良設計あり、硝酸性溶液もれあり。どこを見ても「信
用」とはほど遠いではないか。ここは英国に頭をさげ教えを請い、作りなおすしか手
は無いだろう。危険を我慢するのはご免だから。


2005年6月10日
プールの再漏水 大問題だろうに
 六ヶ所村の使用済み核燃料再処理工場の貯蔵プールで、また水漏れ事故が起きた。
 二〇〇一年に漏水が発覚し、二百九十一ヵ所の不良溶接が明らかになった記憶も生々
しいのにである。しかも今回漏れた水には、微量とはいえコバルト60やトリチウムとい
う放射性物質が含まれている。
 問題点を三つ提起する。第一にこのプールは不良溶接の改修工事を終え、〇四年に
「国」が検査を行い「合格」させていた点だ。「国のお墨付き」とはこの程度のモノな
のか。国の検査を信じた原燃も県知事も、さぞかし青ざめているに違いない。
 次ぎに、ウラン試験の続行を認めた県の姿勢だ。車で言えばエンジンのオイル漏れが
再発したようなものだ。原因不明じゃ私なら怖くて運転する気になれない。この継続を
認めた理由が何とも心もとない。漏水があったが試験継続に問題はないと「国が言って
いる」からだそうだ。県知事が自ら安全だと判断してはいないのだ。
 三つ目は原燃の姿勢だ。八日の深夜に検知機を目視し発見したのだが警報はニ・五g
で鳴る設定だったそうだ。少量の漏水でも自動で発信する仕組みをなぜとらないのだろ
う。そのほうがよっぽど安心だろうに。
 さてこのプールだが、実は昨年末までは水を張っており、一旦抜いて今月初めに再び
張った。ここが謎だ、なぜ今ごろ・・・・いや、今だから露見したのか・・・・・あの
伏見工業の、元々の工事に原因があるのだろうか。末永く安心して使うために、「信用
できる業者に造り直して貰おう」なんて事にならなければいいが。いずれせよ、原因究
明はおいそれとは行くまい
 「日本原燃」・・・・信用の構築は長期戦だ努力したから必ずしも報われるとは限ら
ない。何故なら(推測)、原因(過去の工事現場)と対策(現在のトップ陣)とに時間
と人との、大きな乖離があるからである。


2005年6月3日
事故の通報遅れ 自動化が最善だ
 新幹線トンネルの崩落事故には驚いた。黒部峡谷や青函の地底という難所ならいざ知
らず、こんな平地で。技術的には限りなく百%安全が確立されているとばかり思ってい
た。原因の分析には時間がかかるだろうが徹底した追究を望む。
 私が納得できないのは「通報の遅れ」だ。崩落発生が午後十一時半なのに、十和田警
察署への通報が午前三時とはどういう事だろう。しかも十和田市と県への連絡は午前七
時、報道への公表は午前九時過ぎだそうだ。
 「被害の状況を確認するのを優先した、真っ暗で手間取った、死傷者が無かったの
で・・・」言い訳は何とでもなるものだ。道路下で無かったから良かったね、民家の下
で無かったから良かったね、不幸中の幸いだったに過ぎないのだ。
 およそ事故と言うものは、予測していない時に起きるものだ。だから当事者は動転
し、現場は混乱する。しかも事態を小さく収めようとするので「何より第一報を」とい
う基本が飛んでしまうのだ。それが組織人の本能なのだから。
 異常事態で頼りになるのは「自動通報システム」しかないのだ。原子力施設でも防犯
装置でも異常を察知したら即通報が常識だ。人の判断を介するから危うくなる。
 あの朝三時過ぎ、知り合いの代行運転手があの牛鍵交差点を通った。車が何台も止ま
っていておかしいと思ったそうだ。道路の下が陥没していたらと思うとゾッとする。
人身事故とは紙一重の際どさだったのだ。


2005年5月26日
中間貯蔵説明会 三つの収穫あり
 使用済み核燃料の中間貯蔵施設の誘致を、むつ市が推し進めている。
 八戸市で行われた県の説明会に出向いたが、質疑を通じ多くの収穫を得た。
 不祥事が相次いだ東京電力に対し、「国民の信頼が得られていると思うか」と質問し
たが、「信頼されているかどうか検証した事は無い」との答えには驚いた。
 四つの経営方針をいくら華々しく掲げても実態が伴わなければ意味が無い。プラン・
ドウの後は、チェック(検証)が何よりも大事なのに、これを怠っていては体質改善も
疑問だ。
 県が十一日に市町村の担当課長への説明会を行った。「その目的は」の質問に、「市
長村長に説明して貰うため」との答えがあった。市長は課長から講義を受けたのち、十
九日の市長村長会儀に出席した事になる。だがあの会議での発言は数名しかいなかっ
た。住民を代表して意見を述べる筈なのに解せない。
 説明会の報告をどのように知事に説明するのか尋ねたら「先ず副知事が口頭で報告
し、のちに書類で報告しており、情報公開の対象になる」と回答があった。どの程度声
が届いているのか確認するのが楽しみだ。
 質疑が活発だったので延長になったが、時間はたっぷり欲しい。対話形式の方が理解
も深まる。今回は双方が同じ高さに座り、私達にも水が配られ、司会の進め方も好意的
に感じた。原子力は難しい問題だからこそ「対話と交流」がカギなのだ。


2004年9月13日
再処理の理解は 対話が何より
 「話せばわかる」と云う言葉が好きだ。腹を割って話せば通じる事でも、誤解や打算
が邪魔すればこじれる。私は再処理問題でもそう思う。
 国策への協力という名の元に、わが県はこれを受け容れ推進してきた。そしてウラン
試験に着手しようかというこの場面で、「安全性」やら「経済性」やら「信頼性」やら
疑問が投げかけられている。
 農業者の思いは切実だ。汗水たらして生産しても評判が落ちたり売れなくなったりし
たら元も子もない。再処理が稼動しても「消費者が青森ブランドを支持してくれる」そ
れならいいのだが。どこの調査を見ても世論の八割以上は、原子力施設に不安を抱いて
いる。
 十一日に青森市で原子力学会のセミナーが開かれた。再処理の必要性と安全性を諸先
生が訴えていたが、私の質問に応じたフランスのブスケ氏の話を紹介したい。
 「仏国の再処理工場には地域情報委員会がある。三十六名は国会議員・市長・農民・
市民・反対派などで、事業者や報道をはじめ誰でも傍聴出来て翌日にはメディアに発表
される。透明性を第一に事実を根気良く伝えて来たので今では信頼関係が出来ている」
と。
 わが六ヶ所村ではどうだろうか。学識経験者等八十名以内で構成されている「監視評
価会議」。前回は一人の発言も無かったと聞く。有識者八人が選ばれた「地域会議」
に、市民委員はゼロだ。
 県民説明会は発言も時間も思いっきり制約され対話とは程遠い。「質問と勉強の希望
があれば市民の方に積極的に出向きます」とトップは言うがあれこれ条件がつくので事
業者との懇話は未だ実現した試しが無い。
 「信頼の決め手は根気強い対話です」。ブスケ氏の言葉が耳に残る。


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